日中戦争で戦死した大阪生まれの英霊の声

―――今は亡き昭和天皇が、まだ臨終の床にあった時に作れる歌―――


 わいは、中支派遣、××××部隊、中林隊所属、陸軍上等兵、木村三次郎というもんでおます。
 井上俊夫とは、同じ大阪は寝屋川市出身でおます。
 小学校も一緒なら、軍隊も一緒、中国兵と銃火を交えた戦場も、同じでした。大の仲良しでおました。

 昭和十八年六月十四日、安義という小さな町から十里ほどはなれた山狭の戦闘で、わいは太腿部に貫通銃創を受けました。
「木村、しっかりせい!」
 そばにいた井上は、すぐ傷口をしばってくれましたが、前線のこととて一滴の輸血もしてもらえず、出血多量で、名誉の戦死をとげました。
 二十一歳でおました。

 今のわいは、東京は九段坂の、靖国神社をすみかとしています。
 お盆の時だけ休暇をもろて、村の墓にかえりますねん。
 ほいで、いつも墓参りしてくれる井上と、しみじみ昔語りをしますのや。

 けれども今日は大阪府中小企業会館文化ホールで開催の日本現代詩人会主催「一九八八年文学フェア」へ出席のため、特別休暇をもろて、靖国神社からここへ、暗闇にまみれてやってきましたんや。
 三百数十名の聴衆のみなさん、コンニチハ…………。

 念のため言うときますけど、さきほどから、しゃべっているのは井上俊夫やおまへんでぇ。
 井上にのりうつった、故陸軍上等兵木村三次郎の英霊が喋っているのでおますさかい、どうぞ、まちがわんようにしとくれやすや。

 いま、わいが住んでいるとこは、暗いことも明るいこともおまへん。
 寒いことも暑いこともおまへん。
 なんや、ぼんやりしたとこでおます。
 ただ、わかっているのは、なんとか身体が一つはいるだけの、狭い狭いとこやということだけだす。
 ここに、わいは朝から晩まで、ただ、じいっと行儀ようすわってますねん。
 それが、わいらのような英霊になってしもた兵隊の仕事でおます。
 任務でおます。

 食事は一日に一回だけいただきます。
 中国大陸にいた時はいつもガツガツしてて、血走った眼で残飯あさりをしたもんでおますが、いまはちっとも腹が減りまへん。
 それでも毎朝一回だけ、神社の境内のイチョウやサクラの木の葉っぱにたまった露をちょっぴり、舌の先で舐めさせてもらいます。
 これで腹はもういっぱいになりますのや。

 そやけど昔、軍隊でやってた通り、食事をいただく前に、天皇陛下よりくだされた軍人勅諭を、みんなといっしょに大っきな声で奉唱することになってますのや。

 一、軍人は忠節をつくすを本分とすべし。
 一、軍人は礼儀を正しくすべし。
 一、軍人は武勇を尊ぶべし。
 一、軍人は信義を重んずべし。
 一、軍人は質素を旨とすべし。
 いただきまぁーす!

 こうして、長い、ながーい、退屈な一日が終り、夜のとばりがおりて、九時になりますと、これまた昔の軍隊時代の通り、どこからともなく物悲しい、消灯ラッパが聞えてきますのや。

 タタ、タタ、タタ、タタ、タタ、タタ、タタターー。
 タタ、タタ、タタ、タタ、タタ、タタ、タタターー。
 兵隊サンハ、可哀イソダネェェェェ……。
 マタ、寝テ、泣クノカ、ヨゥゥゥゥ……。

 ここには新聞もなければ、テレビも、ラジオもおまへん。
 そやけど、いま日本で、どのようなことが起きているかということは、どこからともなく聞えてくるのでおます。

 先日来、天皇陛下が重態に陥りられ、八十七歳の玉体のなかに、あろうことか、おびただしい人民の血潮をながしこみ、体内の血液が全部入れ替わってしまうという、医学史上、例をみない奇怪千万な治療をお受けになりながら、いくばくもない余命にひたすらすがりついておられるということも、よう存じております。

 ああ、これが、わいら兵士に「義は山嶽よりも重く、死は鴻毛よりも軽しと覚悟せよ」、つまり「お前たち兵士は桜の花びらのように潔く散れ」と諭された天皇の、ご最期のお姿なのでおますのか。なぜ、
「わたしはもう輸血はいらない。貴重な血液をどうか人民のいのちを救うためにつかってほしい」
 と、仰せにならないのでおます。
 わいらのように一滴の輸血もうけられずに戦場で散りはてた者からみて、陛下のお姿はまことに浅ましい限りでおます。

 わいら靖国神社にあい集う日中戦争ならびに太平洋戦争の戦死者の英霊、二百三十三万九千九百六十柱一同は、威儀を正して境内に整列し、かの有名な東条英機大将の、
「われら裏切られ英霊の怒りと呪いをこめて、大元帥陛下に対し奉り、敬礼、頭ァ、右ィ!」
 という大号令の下、一斉に天皇をお恨み申上げたのでおます。

 小さい時から、「一旦緩急あれば義勇公に奉じ、以て天壌無窮の皇運を扶翼すべし」と、教育勅語で諭され、天皇陛下のために戦場で屍をさらすことこそ、日本男子の本懐と信じていたわいは、ほんまに天皇のために死なしてもろたわけですけど、そのかんじんの天皇陛下がこのようなありさまでは、わいら英霊の顔はもう丸潰れでおます。立つ瀬がおまへん。

 いったい、わいらの行く末はどうなりますのや。どないさしてもろたらよろしいのや。

 井上俊夫は、ずうっと以前から、
「おい、木村、いつまでも靖国神社みたいなとこで、うろうろしてんと、早よう村の墓へ戻ってこいよ」
 というてくれてます。

 昔、わいらがここに神として祭られた時分は、戦死者の親や妻や子供たちが、大勢ここへやってきては、さめざめと涙を流してくれたものでおます。
 そやけど、今時の人は戦争で死んだ兵隊のことなど、もう見向きもしてくれまへん。
 ただ、腹にいちもつある政治家や遺族会のボスどもが、いそいそとやってくるだけでおます。
 こんな靖国神社にいてても、ちっともおもろいことおまへん。

 一日もはよう、わいのお父っつぁんや、お母ん、それに初恋の人ミッチャンが眠っている、村の墓へ帰りとうおます。

 そやけど悲しいかな、いったん英霊として、神として靖国神社にまつられた以上、勝手にここから抜け出すことは許されないのでおます。

 そこで、井上俊夫に今後の身のふりかたを相談しましたところ、
「木村、心配するな、昭和天皇がお亡くなりになり、新しい天皇が即位されるようになったら必ず恩赦というもんがある。重い罪を犯した人間でも、刑務所からはよう出してもらえるようになるんや。ましてお前みたいにお国のために一命を捧げたもんに、恩赦がないはずはない。そやさかい、お前も早いこと恩赦をもろて、靖国神社から出てこいよ」
 と 、言うてくれよりました。
まこと、持つべきものは、友でおますな。

 ああ、恩赦。
 ああ、恩赦。
 平和な日本、豊かな日本の
 国民統合の象徴さま。
 新しい天皇さま。
 テニスコートの恋の天皇さま。
 それにリクルート汚職にまみれた内閣総理大臣殿。
 どうか恩赦をください!
 靖国神社からヒマをください!
 こんなアホみたいな英霊をやめさせてください!

 一日も早よう、大阪へかえしたれ!
 道頓堀で一杯呑ましたれ!

ホームページへ

詩集『従軍慰安婦だったあなたへ』全編目次へ戻る