---加筆---
井上俊夫は2008年10月16日、永眠いたしました。
--訃報-- 朝日新聞より引用
詩人の井上俊夫(本名:中村俊夫)、肺炎のため16日死去、86歳。
1922年大阪府寝屋川市生まれ。42年徴兵され中国で飛行師団気象部隊に所属。
戦後、中国の捕虜収容所で1年過ごし復員。農民運動に参加。
54年詩誌「山河」「列島」に参加、詩人の小野十三郎らと交流する。
57年詩集「野にかかる虹」でH氏賞を受賞、農民詩人と評された。
著書に詩集「従軍慰安婦だったあなたへ」ほか、エッセー「わが淀川」など。著書「八十歳の戦争論」など。
06年日本現代詩人会の先達詩人に選ばれた。
このホームページは井上俊夫本人が生前に制作したものを再現しました。
ただし、ソースコードが古かったこととスマホへの対応のためCSSを加えて体裁を整えました。
デザインは異なりますが井上俊夫が発信したテキストは全てそのまま掲載してあります。
作品は整理できしだいアップいたします。(現在一部の作品は閲覧できません)
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「君が代行進曲」にあわせて | ・・・ | 軍歌や行進曲はいまなお従軍体験者の感覚をゆさぶるのです。 |
また負けたか八聯隊 | ・・・ | 大阪の軍隊伝説について考えました。(閲覧できません) |
四国講演旅行 | ・・・ | 香川県善通寺市にある四国学院大学で講演しました。 |
「一太郎やーい」 | ・・・ | 香川県多度津市にある「一太郎やーい」の銅像についての考えました。 |
大阪護国神社にて | ・・・ | 無名兵士の死をいかに弔うのかという問題を考えました |
銃殺された昇り龍に捧げる歌 | ・・・ | 鉄の規律を誇る軍隊内にも、敢然と上官に刃向かった男たちがいました。 |
私が戦争の詩を書いているのは | ・・・ | その理由を逆説的に |
なぜお前は姿を見せない | ・・・ | いったいお前はなにものなのだ? |
美しく老いる | ・・・ | 奈良は東大寺において書いた作品です。 |
煙草のけむり | ・・・ | 日中戦争たけなわの頃、日本軍はしばしば中国兵の捕虜を処刑しました |
もしも私が蛇に生まれていたら | ・・・ | 一兵士として戦争に参加しなければならなかった者の想い。 |
うわ、おう、うわおう、うわ、うらら! | ・・・ | 時に若者たちは従軍体験者の話に、激しく反発する。 |
戦死させてもらえる顔 | ・・・ | いつの時代でも、戦場に真っ先に駆り出されるのは若者です。(若き日の作者の写真入り) |
銃殺された昇り龍に捧げる歌 | ・・・ | 秘められた軍隊内反乱事件 |
四国講演旅行 | ・・・ | 香川県善通寺市にある四国学院大学にて講演した |
「一太郎やーい」 | ・・・ | 四国講演旅行続編 |
また負けたか八聯隊 | ・・・ | 大阪の軍隊伝説(閲覧できません) |
大阪護国神社にて | ・・・ | 無名兵士をいかに弔うか |
『南京大虐殺』関連写真の検証 | ・・・ | 小林よしのり『戦争論』への反論(未完) |
八・一五の靖国神社探訪記 | ・・・ | 「写真入り」 |
軍服感覚と武器感覚 | ・・・ | 戦争・軍隊に青春ありや |
映画『プライド――運命の瞬間』 | ・・・ | ノート |
「高ク高ク臀部ヲ挙上セヨ」 | ・・・ | 昔、日本男子は満20歳になると一人残らず徴兵検査を受けねばならなかった |
「週番士官殿、銃を返してください」 | ・・・ | 軍隊ではよく幽霊がでたものです。なぜでしょうか? |
君まちがうことなかれ | ・・・ | 「君死にたまふことなかれ」の作者として有名な与謝野晶子はホンモノの反戦主義者だったのでしょうか? |
九州センチメンタルジャーニー | ・・・ | <私の特攻論> |
大阪城公園・それは私の庭 | ・・・ | 大阪城公園には戦争と軍隊の歴史が刻まれています |
大阪城ものがたり | ・・・ | 上記のエッセーと併せて読んで下さい。 |
学校道で私を待っていた人 | ・・・ | ああ、二度とかえらぬ幼き日よ。 |
大久野島へ | ・・・ | 瀬戸内海に浮かぶ毒ガス島の遺跡を探訪した。 |
詩集『従軍慰安婦だったあなたへ』全編 目次 |
全37作品一挙公開 |