なにか悪い事でもするように
二階の書斎の窓も入口の扉も厳重に閉め切り
誰にも覗かれないようにして
ステレオチューナーアンプの電源スイッチを入れる
そして『君が代行進曲』のCDをセットするのだ。
もちろん音量調整は小さく小さく絞って
音が階下にもれないようにする。
やがて「君が代」と「来たれや来たれ」を 巧みにつないで
二部形式の行進曲に仕立てた
心地よいメロディが部屋中に満ち溢れる。
すると私はやおらパソコンから離れて
まるで幼稚園児のように
曲にあわせて両手を大きく振りあげ
足を高くあげて
せまい部屋の中を行きつ戻りつ
行進しはじめるのだ
ただし足音が床に響かないように
細心の注意をはらいながら……。
七十七歳にもなる男が
こんな真似をしているのを人が見たら
気が狂ったと思うかも知れない
でも私は適量の麻薬を投与されたみたいに
とても気持ちがいいのだ。
こうしていると
戦時中の記憶がアタマの先ではなく
五体の中にまざまざとよみがえってくるのだ
戦争のことをあれこれ書いた本などいくら読んでも
こうした気持ちには絶対になれない。
往年の私が中国の戦場で迎えた歩兵連隊の軍旗祭
その日は朝からドシャ降りの天気だったが
われら下級兵士は重い背嚢を背負い
腰に帯剣をぶらさげ
肩に三八式歩兵銃を担いだ完全武装で
顔まで泥水を跳ね上げながら
勇壮な喇叭の音にあわせて分列行進をしたのだった。
「頭ァ、右ィ(カシラァ、ミギィィ)!」の号令で
われら年若き兵士が一斉に敬礼する軍旗の遥か彼方に
白馬にまたがった大元帥陛下がおわしまし
われらは生きて内地の土は踏むまいと誓い合ったのだった。
ああ、あの時のオルガスムスに似た陶酔感
今にして思えば
ファシズムが様々な軍歌や行進曲を通じて
前線の兵士や銃後の国民に撒き散らかしていた麻薬が
戦後五十有余年も閲したこんにちなのに
書斎で君が代行進曲にあわせて歩いていると
いまなお有効期限が切れていないことを
まざまざと思い知らされるのだ
できることならもう一度、
一兵士としてこの身を ミリタリズムに捧げたくなってくるのだ
もう一度戦争をやりたくなってくるのだ。