浪速の詩人工房

『南京大虐殺』関連写真の検証 井上俊夫

小林よしのり・漫画『戦争論』への反論

第一 盛家橋部落の三枚組写真について
(出典)「アサヒグラフ」(支那事変写真全輯 中 上海戦線)
1938年(昭和13)3月1日発行 朝日新聞社 定価2円50銭
《井上俊夫・架蔵》


原本のキャプション
 硝烟下の桃源郷
 戦火の余燼未だ収らぬ揚子江附近、宝山県の片隅に、我が軍の温い庇護の手で平和に蘇つた部落がある。その名もゆかしい「日の丸部落」といはれる盛家橋部落で、村長さん格に納つているのが田窪忠司部隊長、村民からは先生々々と慕れてゐる。村民は約四百名で敗残支那兵の掠奪もなく、土を耕し、綿を摘み、朝夕を平和に楽しむ桃源郷である。(十月十四日撮影)

写真1(原寸 16.3×25.6cm)

(原本のキャプション)
夕になれば白一面の綿の花畑から嬉々として我家に帰る
写真2(原寸 17×26.3cm)

(原本のキャプション)
広々とした綿畑で女も老人子供も、一家一同棉摘みにいそしむ
写真2(原寸 17×26.3cm)

(原本のキャプション)
朝ともなれば親切な掛かりの兵に護られいそいそと野良へ出て行く

検証

 写真1の「夕になれば白一面の綿の花畑から嬉々として我家に帰る」というキャプションがついた映像について、小林よしのりが漫画『戦争論』(幻冬舎・98年刊)でとりあげている。

 というのは、宇都宮大学教授で南京大虐殺の研究家としても知られる笠原十九司が、その著書『南京事件』(岩波新書・97年刊)の中の「Ⅲ 近郊農村で何が起きたか」という章の扉にこの写真を挿入して「日本兵に拉致される江南地方の中国人女性たち、国民政府軍事委員会政治部『日寇暴行実録』(1938年刊行)所蔵」というキャプションをつけているのに対して、小林よしのりはイチャモンをつけているのである。

 小林よしのりは『戦争論』「第11章 反戦平和のニセ写真を見抜け」の中に、前記、『南京事件』に笠原が挿入した写真をそのまま引用した上、次のように書いている。
「……ところがその本(笠原著『南京事件』)にも、重大なニセ写真が使われていたことが、日大の秦 郁彦教授によって明らかにされた!」「笠原氏はキャプションも引用元からほぼそのままを訳したそうだが、そのキャプションがまず問題なのだ」「秦教授の調査によると、この写真はもともとは朝日新聞社の龍崎玉樹カメラマン(故人)が撮影して『アサヒグラフ』の1937年11月10日号に掲載、翌年3月発行の『支那事変全輯 中 上海戦線』にも転載さいされたものである」
「そのい原典のキャプションは『アサヒグラフ』には『我が兵士に護られて野良仕事より部落へかえる日の丸部落の女子供の群』、『支那事変写真全輯』には『夕になれば白一色の綿の花畑から嬉々として我が家へ帰る』……となっており、さらには全体の説明には『日本軍がこの部落を敗残支那兵の略奪から守っており、平和を取り戻している』……という主旨のことが書かれていいたのだ!」
「なんとこれは日本兵が『警備』していたのを『拉致』していたと正反対に書くという『キャプションの捏造』の手口の中でも極悪な質のものだった!」
 さらに驚くべきことにこの写真は左側がハレーションを起こしたようにぼやけている。これは印刷工程上のミスではなく、笠原氏が持ち込んだ写真がそうなっていたというが、このぼやけている部分をアサヒグラフの原典で見ると『先頭の女児も次の姑娘(クーニャン)も、そして兵隊と並んだ少年もニコニコと笑っている』のが確認できたということである!」
「結局、岩波書店は冊子『図書』の中でこの極悪ニセ写真について謝罪、積極的回収はせず出荷停止、購入した人の申し出で交換することになった」「この額悪ニセ写真、今、アイリス・チャンが使ってベストセラーとなり、アメリカ人をだましまくっている」「『南京』に関しては、このように不当に歪められてしまった写真ばかり世に出回る……」

 以上のように小林よしのりは漫画につけた説明で書いている。はたして小林のいうことが正しいであろうか。私の考えを述べてみる。
●続く……

(加筆)ここで原稿が終わっており残念ながら未完のままである

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