映画『プライド――運命の瞬間』ノート

 東映映画『プライド』を見た。どんな映画か。一九四五年(昭和二〇)八月、アジア太平洋戦争が日本の敗戦で終結し、連合国が東京で開いた極東国際軍事裁判(東京裁判)で、A級戦犯として訴追された東条英機を主人公とする一種の戦争映画、法廷映画だ。
「プライド」というタイトルは、なにに由来するのか。案ずるに、東條英機は処刑されるのを覚悟の上で、連合国の裁判官や検事を向こうに回して、正々堂々とおのが所信を開陳したが、その態度は甚だ立派で、彼には日本人としての「プライド(誇り)」があった、という解釈から来ているらしい。そしてまた、今の日本人は「輝かしい大東亜戦争の歴史」を再認識して「誇り」をもつべきだといった映画製作者の主張も、それとなくこのタイトルにこめられているようである。では私たちは映画『プライド』を見ることで、はたして日本人としての「プライド」を持つことができるだろうか。


 この映画は、一九四一年(昭和一六)一二月一六日、昭和天皇の「御真影」が掲げられた総理大臣官邸で、陸軍大将の制服に身をかためた東條英機が「只今、宣戦の御詔勅が渙発せられました」と独特の口調と、右手を腰にあてた得意のポーズでもって、英米に対する開戦の演説をするところから始まる。
 ところが、その直後に出てくる場面は、なんと一九四七年八月一五日、インドのニューデリーで独立を迎えて狂喜乱舞する民衆の姿である。ここかしこに人々の掲げるガンジーやネルーの巨大写真、それらに交じってチャンドラ・ボースの巨大写真がひと際目立つ。
 なぜ東條の演説のあとにインドの独立が出てこなければならないのか。一瞬、私はとまどった。いささか乱暴なモンタージュの仕方だと思った。が、終わりまで見ると、この映画ではインド関係の場面が、東條英機関係の場面と同じくらいの比重でもって出てくることが分かった。ところが、全体的にこの二つの場面が水と油みたいにうまく解け合っておらず、観客にギクシャクした感じをあたえる。
 東條英機を主人公とする映画に、どうしてインド関係の場面が必要だったのか。どうやらそれは、東條が開戦に踏み切った「大東亜戦争」が、インド独立のために大きく貢献するところがあったと言いたいためらしい。そしてまた、インド代表の判事として東京裁判に参加したパール博士を、なにがなんでも登場させねばならないという事情もあったようだ。パール判事とは周知のように、東京裁判で東條英機をふくむ二十八名のA級戦犯全員に、無罪の判決を少数意見でくだした人物だ。
以上のようなインド関係の場面の検討は、後まわしにして、とりあえず、この映画で東京裁判や東條英樹がどのように描かれているかを見ることにする。


 私は以前に小林正樹監督の『東京裁判』という、米軍のカメラマンが撮影したフィルムを主にして製作されたドキュメンタリー映画を見ている。『プライド』では大いにこの作品を参考にしており、法廷セットなどは相当な金をかけて丁寧に作られていた。
 一九四六年五月、東京裁判の初日。早くも傍聴席は内外人で満員。一番上の雛壇には、十一ヵ国の国旗を背景に、ウエップ裁判長以下の国際判事団が威儀を正して居並び、その下にたむろするキーナン検事以下の国際検事団及び日本人およびアメリカ人弁護団。それに書記官、速記者、同時通訳、警備のMP等々。そして一方の雛壇にはA級戦犯二十八名の神妙なたたずまい。やがて裁判がはじまると、精神に異常をきたした右翼の大物・大川周明が、後ろから東條英機の禿頭をピシャリと平手でたたいて法廷を驚かせる有名なシーンが描き出される。
 そのあと、ウエップ裁判長が被告の一人一人に罪状の認否を求めたところ、被告たちが一人ずつ順番に立ち上がって、実写フィルムにあったのとそっくりの態度、言葉使いでもって無罪を申し立てる場面が続く。
 このように『プライド』は、いかにも東京裁判を忠実に再現した映画であるかのように見せかけている。しかし結果的には、裁判の中身をこの映画の製作委員会に都合のいいように解釈し、モンタージュし、ゆがめていると言える。
 たとえば東條英機の主任弁護人であり、日本人弁護団の副団長でもある清瀬一郎が「この裁判所においては『平和に対する罪』また『人道に対する罪』で被告たちを裁く権限はない」と裁判所の管轄権を忌避する動議を申し立てて、キーナン検事を激怒させる場面とか、同じく東條についたアメリカ人のブルーエット弁護人が「当法廷では、戦争に勝った国が戦争に負けた国を裁いているから、到底公平な裁判は期待できない」と主張する場面などを、殊更に大きく、センセーショナルに打ち出すことによって、観客に東京裁判に対する不信感を植えつけていくのである。
 この東京裁判はいわゆる「勝者の裁き」として、幾多の問題点、疑問点、矛盾点があることは、まがうことなき事実である。だからといって東京裁判は無意味だとか、全面的に間違っているなどとは言えない。日本敗戦直後、その日の暮らしにも事欠いていた日本の民衆は、戦争によって自分たちを破滅に追いやった連中の正体を見極める術を知らず、ましてその責任を追及する手立てを全く持てないでいた。東京裁判はそうした日本人になりかわって、アジア太平洋戦争の遂行に責任を持たねばならない連中を捜し出し、裁こうとした一面を持っていたと言えるのである。
 当時、著名な国際法学者で、後に最高裁判所長官となった横田喜三郎は、その回想録『私の一生』で「わたくしは、この裁判(東京裁判)を正当であると固く信じ、それを強く支持した。すでに戦争中から、太平洋戦争を侵略戦争であると信じていた。むしろ、ずっとさかのぽって、満州事変から、日本の軍事行動は、自衛行為ではなく、侵賂的行為であると見ていた。戦争に負けたことは、過去の侵略行為を清算し、これから平和政策をとるために、かえって幸いである。その清算の意昧で、侵略戦争の責任者は、厳しく処罰されなければならない。本来ならば、日本自身で処罰すべきである。連合国が処罰するというなら、それをよく理解し、支持しなければならない」と述べている。このように東京裁判は勝者の裁きであることを百も承知の上で、それを前向きに評価すべきだとした日本人は決して少なくなかったのだ。
 また東京裁判は、日本の民衆が知る由もなかった戦争や軍部の実態なり真相なりを、白日の下にさらけ出すという大きな役割をはたしている。法廷には、検察、弁護側双方から膨大な重要史料と無数の証言が提出された。これらの裁判史料はアジア太平洋戦争の経緯を検証する上で貴重な手がかりとなるものばかりである。もしも東京裁判なかりせば、私たちは未だに戦争の真実に迫れずにいたに違いない。
 ところが『プライド』は、こうした東京裁判の本質を全然描こうとせず、その矛盾点ばかりをあげつらっていくのである。
 ブルーエット弁護人が「国際法では戦争自体は合法的である。真珠湾攻撃をしかけた者が罪になるというなら、広島に原爆を投下することを計画し、その実行を命じた者はどうなるのか。これでは戦争に勝った者の殺人は合法的で、戦争に負けた方の殺人のみが非合法であると言っているのと同じではないか」といった発言をしたところ、検察陣ははもとより、法廷全体が大きく動揺し、何者かの指示で同時通訳までがストップしてしまったといった場面を、意図的に出してきているのも、そうした「作戦」の現れであろう。これで「日本に原爆を落とした国には、日本を裁く資格はなかった。したがって東京裁判はデタラメだ」という、日本人のナショナリズムを挑発し、それを一定の方向に持っていく図式が出来上がっていくのだ。


 アジア太平洋戦争で日本軍が中国でおこなった南京大虐殺は、東京裁判で初めて暴露され、なにも知らされていなかった日本人に大きな衝撃をあたえたのだった。ところが『プライド』はこの事実を真っ向から否定しにかかるのだ。
東京裁判の法廷では、検察側立証段階で、当時南京に滞在していて日本軍の蛮行を目撃したり聞いたりした外国人四人と、直接被害を受けた中国人五人が次々と立って証言した。その他、十数人の宣誓口供書が朗読され、多くの証拠書類も提出された。こうしたおびただしい証拠をつきつけられて、弁護側はほとんど手の打ちようがなく、その反証は弱かったことが裁判の真実であった。
だが『プライド』では、マギー牧師、ウイルソン医師という二人の外国人証人が虐殺の模様を語る場面をごく短く出したあと、弁護人が「証人の証言はすべて伝聞に基づくものではないか」と反撃する場面をクローズアップするといったやりかたをとるのだ。また許伝音という中国人証人の登場を描く際、証人に一言も喋らさず、ただ伊藤弁護人が「あなたは日本軍が一般市民を無差別に殺したと言うが、殺されたのは市民を装った中国軍兵士ではなかったのか」と怒りを露わにして激しく追求する場面だけを描いてみせるのだ。
 それだけではない、東條が清瀬弁護人に向かって「わが皇軍の兵士たちが、兵隊でもない支那人を、女や子供まで、見境なく、手当たり次第に殺しまくったなどと、誰が信じられると思うか」と言って、無念のあまりハラハラと落涙する場面もこの後に出してくるのだ。つまり『プライド』は子供騙しみたいな手練手管で、南京大虐殺なんかなかったと主張してやまないのだ。
またこの映画の眼目は、東条英機が巣鴨プリズンで「刻苦精励して」百枚以上にものぼる口供書を書き上げる場面を描くところ、そしてそれが法廷に提出されるや、東條対キーナン検事の丁々発止の一騎打ちが展開されるところを見せ場として描くことにあった。実物のキーナン検事は、マッカーサー元帥という虎の威を借りて威張り散らす小者だったらしが、映画では見るからに憎々しげな「悪人」として描かれ、それと対蹠的に東條は「侵略国の汚名を着せられた日本の名誉を守るために、兵隊もいない部下もいない法廷でたった一人、国際検察陣の巨悪と闘った英雄」として、また日本を敗戦に追い込んだ自己の責任を、一命を投げ出して償おうとした人格高潔な武将として描かれていた。私はこれを見て、戦後五十三年目にして、東條英機の株が異常なまでに高騰してきているのに、思わず苦笑してしまった。
 東條の口供書なるものは、清瀬弁護人の冒頭陳述と同様、アジア太平洋戦争は日本がアメリカを筆頭とする連合国の圧迫(いわゆるABCD包囲陣)に耐えかねてやむなく起ち上がった自衛のための戦争であり、決して侵略戦争ではなかったという主張がその根底にあり、そこからA級戦犯、ひいては日本の無罪論へと水を引こうとするものであって、私など到底容認できない理屈だ。が、映画『プライド』の根底にあるのも、こうした「大東亜戦争肯定論」であることはいうまでもない。
『プライド』が描いた東條関係の場面で、指弾しなければならない点は、この他にも山ほどあるのだが、紙数がないので、あと一つだけ書いておく。
 それは元陸軍省兵務局長田中隆吉少将も、映画に登場してくることだ。この人物は自分自身がA級戦犯として訴追されても不思議でないほどの「業績」を持っていながら、検事団から免責の約束を取り付けた上、軍上層部の機密事項を次々と暴露して「日本のユダ」と呼ばれたことで知られる。
『プライド』では、田中隆吉が、法廷で戦犯・板垣征四郎を名指しで、満州事変を起こした張本人だと指摘するところと、東條英機ら戦犯たちが、巣鴨プリズン内の狭い運動場で、この田中を裏切り者として憎悪し、またFBI方式とやらで田中のような「内通者」を仕立てて、自分たちを不利な立場に追い込んだキーナン検事のやり方は、実に汚いと非難する場面を描いている。
 しかし、田中隆吉という内通者がいたればこそ、私たちが全く知る由もなかった軍上層部の中国に対する恐るべき陰謀と暴虐と、それに権力争いなどに見られる頽廃ぶりを知ることが出来たのである。故に田中隆吉は、私たちにとってすこぶる好ましい「ユダ」だったのである。


 本稿の終わりに『プライド』が描いてみせたインド関係の場面が、なにを意味するのか検討してみることにする。結論から先にいうと、アジア太平洋戦争がインドの独立に間接的に影響を与えたことは歴史の真実である。けれども『プライド』が描くように、日本軍がインドの独立のために大きく寄与したというのは歴史の真実ではない。   
映画ではチャンドラ・ボースというインド独立運動の志士を大きく取り上げている。彼は過激な独立運動に身を挺して、イギリス官憲に囚われるが、劇的なインド脱出を敢行してドイツに赴く。こうした行動は第二次世界大戦の勃発でイギリスと戦うドイツを頼って、インドの独立を計るというマキアベリズムに基づくもので「敵の敵はわが味方」というのが彼の信条だった。だがナチス・ドイツが頼りにならないと知ると、彼は今度は米英と開戦して、マレー半島のイギリス軍を撃破した日本を頼る方針に切り替える。そして幾多の危険を冒してドイツを出国、ついに東京にたどりつくのである。映画はこうしたボースのスリルに富んだ行動を、冒険映画よろしく描いていたが、これらの場面は取ってつけたようだった。
やがてボースは一九四三年六月、シンガポール入りして、日本軍の協力の下、インド国民軍を再編成して、その最高指揮官に就任する。映画では、同年七月五日、市庁舎前でおこなわれたインド国民軍の大観兵式の模様を再現している。当時、シンガポールにいたイギリス軍を一掃して得意の絶頂にあった東條英機が、部下を引き連れて式典会場に現れると、ボースらインド国民軍の将校に丁重に出迎えられる。やがて数万のインド兵たちが隊伍を組んで勇壮な分列行進を始めると、東條はインド人将校らとともにこれを閲兵する。この式典で、ボースは熱弁をふるって、兵士たちにインド独立のために奮起せよと呼びかける。映画はこうした場面を出すことにより、東條がインド独立に大いに貢献するところがあったと言いたいのであろう。
 同じ場面にインドの独立運動に情熱を燃やす立花少尉という日本人青年が登場してくる。彼の肩書きは「インド国民軍付き連絡将校」となっているが、その実体は日本軍の対インド謀略機関の一員だと思われる。が、この人物の描き方も底が浅く、全然実在感がなかった。
一九四四年三月、日本軍のインパール作戦が開始されると、インド国民軍もこれに参加して祖国をめざす。しかし装備に優れた英印軍の頑強な抵抗にあって、日本軍があっけなく敗退すると、インド国民軍もまた総崩れとなってしまうのだ。その後、日本軍が連合国に降伏すると、インド国民軍もまたイギリス軍に降伏、インドに送還されるのである。
『プライド』ではわざとふれることを避けているが、インド本国では、独立運動の指導者ガンジーにしてもネルーにしても、中国に侵略した日本軍の姿を見て、日本軍を侵略者、ファシストと規定していたのである。ガンジーはもしも日本軍がインドに侵攻してきたら、徹底的に戦わねばならないと国民に呼びかけていた。またネルーは中国人民解放軍を支援していたのだった。更に日本軍の協力を得て、インドの独立を画策したチャンドラ・ボースにしても、常にインド国民軍が日本軍の傀儡軍にされることを恐れていたのである。
 また『プライド』では、インド関係の重要人物としてもう一人、パール判事を登場させていることは既に述べた。この人は裁判官であるから、ボースのように勇ましい場面を演出することが出来ない。そこで映画は、青年時代のパールが、ベンガル地方のデルタ地帯を恋人とともに小舟で行く場面や、カルカッタ大学法学部教授のポストを経て、インド高等裁判所の判事に就任した壮年期のパールの家庭の様子などを点描しているが、いずれも底の浅い映像にしかなっていなかった。 
やがてパールはインド代表の判事として東京裁判に参加するため、日本にやってきて帝国ホテルに投宿する。が、このホテルの玄関には星条旗がひるがえり、歩哨のMPがあたりを睥睨しながら突っ立ている。
 そして敗戦国民としての屈辱に耐えながら、モーリス中尉というホテル総支配人にこき使われている客室係の日本人青年が登場するが、実は彼はかつてインド国民軍付き将校として活躍した立花だということになっている。この立花が、日本に同情的なパール判事と知り合いになり、ついにイギリスの桎梏を脱して独立を全うしたインドを共に祝福しあったりして親交を深めていく。その後、立花はホテルを追放されることを覚悟の上で、東京裁判に証人として出廷し、日本軍はアジア解放のために戦ったのであるといった証言をしようとするが、検事の反対にあって無念の退廷を余儀なくされる。この立花にパールはいたく同情して、彼をインドに行かせる。このようなストーリーはいかにもつくりもの臭いが、要するに映画は、東京裁判では、日本軍がインドを始めアジア各国の解放のために戦ったという実績が、頭から無視されたと言いたいのである。
 ところでパール判事であるが、アジア太平洋戦争における日本の立場を擁護し、A級戦犯全員を無罪とする長文の判決文を書くために、日夜ホテルに閉じこもって精進する。しかし、彼が心血を注いで書き上げた判決文は法廷では少数意見として無視され、朗読すらされずに裁判は終結してしまうのだ。怒り狂ったパールはホテル客室のバスタブに満たした冷水を、何杯も何杯も頭からひっかぶって、階下の部屋まで水浸しにしてしまう。映画はかような場面を次々と打ち出して、パール判決にこそ日本の正義が描き出されていたのに、東京裁判は理不尽にもそれを葬ったと観客に印象づけるのだ。
こうして『プライド』は、東京裁判を全面的に否定し、アジア太平洋戦争の侵略性を隠蔽するために、パール判決を過大に評価し賞揚するのだが、これは右翼グループの常套手段である。元来、パール判決は長大、かつ晦渋で全文を読破するには、かなりの根気がいる。私が読んだところでは、パール判決には、日本軍の中国における残虐行為を指摘している箇所があるのだ。ところが右翼はこういうところは無視して、自分たちに都合のいいようにパール判決を利用しているのだ。
 要するに『プライド』のような時代錯誤的な映画が出現したことは、昨今の日本の逆行的な情勢の忠実な反映に他ならないのだ。大東亜戦争肯定論という歴史修正主義の映画版なのだ。(スタッフの紹介は省略した)

ホームページへ