浪速の詩人工房
戦死させてもらえる顔
家の大掃除でガラクタを整理していたら
二十歳という、ずいぶん若い時の写真がみつかった。
ああ、五十年前の私はこんな顔をしていたのか
ちょっと女好きがしそうだが
いまだ世の中の裏表を知らない甘いマスクだ
今時こんな青二才と道ですれ違っても
私は見向きもしないだろう
それほど私の顔は変わり果ててしまっている。
そうだ、この歳でこの顔で
私は徴兵検査を受けたのだった。
一糸纏わぬ裸のままで
軍医少尉殿の前で直立不動の姿勢をとると
軍医はまるで牛か豚でも扱うように
突然、私の陰茎を掴んで
根本から先の方へぐいっとしごいた
陰嚢にも荒っぽくさわってきた
そして「女と何回寝たか」とか
「小便はうまく出るか」
「淋病にかかったことはないか」
といった質問を浴びせかけてきた
じつに横柄で乱暴で人権蹂躙もいいところだが
軍医はこうして
軍隊がもっとも忌み嫌う性病のあるなしを調べあげたのだ。
続いて軍医は私に
四つん這いになって尻を高くあげよと命じた
私は今まで誰の前でも
こんなに哀れでこんなに屈辱的な姿勢を
とらされたことがなかったので
いやいやそうした姿勢をとったところ
いきなり竹刀で尻をビシャリとたたかれ
「もっと尻を高くあげんか、この馬鹿ものめが!」
と怒鳴られた。
そして軍医は私の臀部を両手で思いきり開いて
肛門の具合をとくとご検分あそばされたのだった。
幸か不幸か私には性病も痔疾もなかったし
体格もいい方だったので
陸軍大尉の肩章をつけたいかめしい徴兵官から
たちまち「甲種合格」の烙印を押されてしまった
こうなると私は否が応でも兵隊にならねばならない
いよいよ来るべきものが来たと覚悟をきめたものだ。
かくて昭和十七年十二月
私は若さではちきれそうな現役兵として
大阪城の近くにあった歩兵連隊に仮入営し
半月後にははるばる
中国は江西省の戦場にいた歩兵第二百十六連隊へ
送りこまれたのだった。
以来、足掛け四年
私は何度となく作戦に駆り出されたり
敗戦後の惨めな捕虜収容所暮らしを
余儀なくされたりしたが
九死に一生を得て
昭和二十一年の夏に復員してきたのだった。
もしもあの戦場で
私が多くの不幸な戦友たちと同様に
敵弾に撃ち斃されていたとすれば
この二十歳の時の写真のように
無知と純情とをないまぜたすこぶる綺麗な顔で
中国大陸の土となっていたはずだ。
そう思いながら
私は改めて写真を見つめた。
とにかく今の私のように
老醜が無惨にも現れ出た情けない面構えで
しかも日本がおこなった日中戦争は
紛うことなき侵略戦争であったなどと
政府がいやがる小憎らしいことをほざいているようでは
とてもやないが兵隊にとってもらえないし
戦場に連れて行って頂ける望みもさらさらなく
まして名誉の戦死など
絶対に遂げさせてもらえる見込みはないのだ。
いつの時代でも
戦争を企て戦争を遂行するのは
おのれ自身は危険な戦場に立つ恐れがない
老年、中年の政治家や高級軍人であり、
そうした連中の命令を受けて
第一線で有り難く戦死させてもらえるのは
昔の私の写真のように
女好きがする甘い甘いマスクを持ち
権力者を批判したり
それと闘ったりする術など全然知らない
素直で従順な若者と
相場が決まっているのだ。
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