浪速の詩人工房

高ク高ク臀部ヲ挙上セヨ

 ある雑誌に発表した『戦死させてもらえる顔』と題する詩で、むかし私が徴兵検査を受けた時、軍医の前に素っ裸で立たされ、軍医からいきなり陰茎を握ってしごかれたり、四つん這いの姿勢になって肛門を調べられるといったひどい仕打 ちを受けたことをあきらかにした。すると私の詩を好んで読んでくれている高校 の先生から手紙がきた。
「あなたの今度の詩、面白かったです。ちょうど僕の知り合いに元陸軍軍医中尉で徴兵検査の仕事をしていたという、もう八十歳をいくつか越えたご老人がおられます。その人にこの詩を読んで聞かせました。するとご老人は破顔一笑され 、あらまし次のようなお話をされました。
『その井上とかいう詩人は、徴兵検査を受けた時、軍医から竹刀で裸の尻をたたかれたと書いているが、軍医の中にはそういう乱暴なことをする手合いがいたことはたしかです。しかし、陰茎を手でしごいたり、壮丁に四つん這いにならせて肛門を診たりするのは、なにもわれわれ軍医が好き勝手にやっていたわけじゃなく、《陸軍身体検査規則》というのがあって、絶対にあのようにやらなければ いけなかったんです。だから軍医は壮丁を豚や牛なみの扱い方をしていたとか、人権蹂躙だなんていうのは当たりません。
 いずれにせよ、徴兵検査を受ける側はただの一回きりですみますが、軍医は 毎日あちこちの検査会場へ出かけては、二百人、三百人といった壮丁の陰部や肛門を調べなければならないから大変でしたよ。あの柔らかくてぐにゃぐにゃした 陰茎を、こんなにたくさん握ったり、しごいたりしていると、しまいに手の感覚 がおかしくなってくるんです。
 それに壮丁の中には、軍医が陰茎を握ったとたんに失禁したり、肛門を調べ ようとして顔を近づけたところを狙い撃ちするかのように、いきなり毒ガスを発 射してくる不心得者がいたことです。故意にやったわけではないんでしょうが、 軍医によってはかんかんに怒って、そういう奴を思いっきりぶんなぐっていまし た』
こうしたご老人の話、なにかの参考にしていただければ幸いです。では次の新作を大いに楽しみにしています」
 この手紙を読んだとたん、私もまた破顔一笑してしまった。そして、なには ともあれ『陸軍身体検査規則』なるものを調べてみる必要があると思った。あちこちの図書館へ問い合わせた結果、奈良県立図書館にそれがあることがわかった。
 昭和三年(一九二八)三月二十六日、内閣印刷局発行の『官報』第三百七十 号の第一頁にそれは出ていた。「陸軍省令第九号」として、同日付けで陸軍大臣 白川義則の名で発令された『陸軍身体検査規則』は全五章、全七十条から成り、 詳細な付表が七部もついている。
これをみて私は、あまりにも懇切丁寧な身体検査のマニュアルが作られている のに呆れ、恐れおののかずにはいられなかった。なるほど、これでは軍医が手加減できる余地はほとんどない。しかもこの法律は、心身に種々様々な障害を持つ者といえども容赦なく検査場に引きずり出して、その障害が自傷や詐病によるものか否かを徹底的に調べあげよと指示しているのだ。つまり障害者を装って徴兵を忌避しようとする不心得者を絶対に見逃すまいとする軍部の強固な意志が働いているのだ。
 私が徴兵検査の折、屈辱を舐めさせられた陰部と肛門の検査のやり方を述べたくだりは次のようになっていた。
「陰部ノ検査ハ受検者ヲシテ脱褌セシメ両脚ヲ開キ検者ニ正面シテ立タシメ鼠 蹊部、陰茎、陰嚢、精系、睾丸及ビ副睾丸ノ異常ノ有無ヲ検査シ排尿ノ難易、遺尿ノ有無ヲ問ヒ次テ手指ヲ以テ尿道球部ヨリ口部ニ向ヒ尿道ヲ按圧シテ排膿硬結ノ有無ヲ検シ必要アルトキハ排尿セシメテ尿ノ性状ヲ検査ス」
「肛門及ヒ会陰ヲ検査スルニハ受検者ヲシテ体ヲ前屈シ両手ヲ床上ニ支ヘ臀部ヲ挙上セシメ検査ハ両手ヲ以テ肛門部を排開シ痔核、痔瘻、脱肛其ノ他肛囲ニ於ケル病変ノ有無必要アルトキハ摂護腺ノ状況ヲ検査ス」
   これでみると、その昔、私が軍医からお尻を竹刀で叩かれねばならなかったのは、要するに「体ヲ前屈シ両手ヲ床上ニ支ヘ臀部ヲ挙上」する、その「臀部ノ 挙上」の仕方が不足していたからだったのだ。もっと「高ク高ク臀部ヲ挙上セヨ 」と言って軍医は私を叱咤したのだった。
 それにしても、こうした「名文」を書いたのは、いったい何者なんだろう。なにしろ日本陸軍の軍医というのは、森 鴎外のような傑物を世に送り出したという伝統を持っているのだから、これしきの「迷文」をものする人材には事欠かなかったはずだ。 いま私はこの『陸軍身体検査規則』の全文を、女子大学で担当している「国語表現論」という講座のテキストに使用したいという思いにとらわれている。そんなことをすれば、学生に対するセクハラと受け取られかねないのだが、これほど見事なレトリックを駆使した「国語表現」はそうざらにあるも のではない。
 この冷酷無惨にして、しかも諧謔に満ちた「名文」を学習することにより、半世紀前の日本を席巻したミリタリズムの実体がまざまざと浮かび上がらせることができるような気がするのだ。
思うにこの法律が公布された昭和三年三月には、いわゆる三・一五事件が起こり、約千六百人の共産党員、左翼知識人らが検挙されている。つまり、当時の唯一の反軍反戦勢力を一網打尽にしたこの大弾圧事件と引き替えに『陸軍身体検査 規則』が誕生しているのだ。当時、私はまだ頑是ない六歳。この法律のお世話になって、怖い軍医に陰部までとくとお調べいただき、三八式歩兵銃を持たされて 、中国大陸に渡るまで、まだかなりの時間があった。

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